とちまるのお誕生日に捧ぐ。
とちまるくんはおとといお誕生日でした。
推定39歳。
ラストサーティーふんばろうね。
長期の出張帰りで改めて驚いたのは、たいちゃんに対する接し方のきめ細やかさとマメさ。
忍耐で取り組んでいるらしいです。
こどもの理不尽にあの手この手で対応しています。
最近よーやると思ったのはかくれんぼおかたづけ。
かくれんぼとおかたづけを交互にやる。
めんどうなおかたづけもこれにて楽しい時間に早変わり。
いやーめんどくさい!
頭が下がる思いでございます。
で、聞いてみた。
たいちゃんのことだいすきなの?
うん、そうだよ。
めっちゃかわいいと思ってるの?
うん。
めちゃくちゃ愛してるの?
そ、そうだね。
ひえーーー
知ってましたけどね。
あたしの身勝手なエゴ丸出しの可愛がり方と違って、いつもたいちゃんの側にたってあれこれ考えてる。
わたしに命令と乱暴なことば使いはやめましょうと提案してくる。
(あ、この記事よかっです。
なんだろう、この人は。
ていうか、つーちゃんよ、よかったね。
本当によかったね。
生きててよかったね。
つーちゃんの持つお父さん像を120%塗り替える人が現れたんだからさ!
(細かい文句はたくさんある。)
買い物したゴミを捨てない。
つーちゃんにももっと優しくしよう。
(まあ、優しいですよかなり)
突然にもほどがある電池切れ怖い。
誕生日だから褒め称えてみた!
でもこれは真実の記録です。
ついでにつーちゃんの新年目標2018
自分のごきげんを自分でとれる人になる。
ごきげんクラブ発足。
部員募集してません。
息子
曇り空が続き苦しい山陰の冬も、たいちゃんが笑わせてくれることが救い。
朝にぬるく温めた甘酒をあげたらごくりと飲んでひとこと。
「え〜ゆやわあ〜」
関西圏で暮らした経験も無ければ、温泉に浸かったわけでもないのにこのことばのチョイス。わたしは好きだ。
つーちゃんとたいちゃん映画観る。
あけましておめでとうございます。
暮れも押し迫ったある日のこと。
つーちゃんとたいちゃんはDVD鑑賞をしました。
ピクサーのアニメ、「モンスターズ・インク」です。
わたし、独身のころからこのアニメが好きで、録画したビデオを何回も何回も観ていたんです。
それをわがこと観る日がくるなんてなんか不思議。
楽しんでくれたらやはりうれしいですわ。
共通の趣味として。
そんなわけでわたしも数年ぶり、久々のモンスターズ・インク鑑賞。
怖がりなたいちゃんは、サリーが「ガーワーー」とかやるシーンはやはり怖がっていたけど、だいたい2人で全編楽しく鑑賞できました。
吹き替えでは観たことなかったので新鮮でした。
でもみんなキャラと声が違和感なくて良かった。
観ていくうちに、わたしがなんでこのアニメをこよなく愛していたのかを思い出したのよ。
こどもの悲鳴をエネルギーとして電力を供給しているモンスターズ・インク。
しかし!笑い声の方が10倍のパワーがあったというところ‼︎
悲鳴=恐れや恐怖には確かにある種のチカラがあるにはあるのかもしれない。
でも、
笑い声=楽しさや喜びの方が、もっともっともっとチカラが大きい。
なんてシンプルでわかりやすい法則。
笑いには大きなパワーがある‼︎
そうそう、これだわ〜。
改めて納得。
子を持ってみて再び観ると、また現在の自分の状況に置き換えてあれこれ考えられる。
逆にこちらの怒鳴り声で恐れや不安の力を使って言うこと聞かせてこどもをコントロールしようとしても、燃費悪いしこちらのムナクソも悪くなる、てことよね。
こどもはおもしろいたのしいことでしか進んで動かない。
本来の人間の姿はそういうものだということ。
大人は笑わせるか待つか、くらいしかできないもんだなあ〜とつくづく思わされたよ。
それでエンディングの歌が泣けた。
君がいなきゃまるでだめ
君がいなきゃまるでだめ
人が人を求めたり、ともに在りたいと思ったり、役に立ちたいとか思う。
人は人を求める。
共にしあわせを分け合いたいと思う。
そんな風でありたいと思ったよ。
わが家族も、できるだけでもね。
あなたがいるから、ありがたくてしあわせ。
たいちゃんの頭の後ろで、こっそり涙をふくつーちゃんでした。
冬のたわごと
希望100%のさなかで、希望に気がつけるかな?てふと思ったら…
やはり闇は味方だった。
そこから見える光。
この世界の無駄の無さに驚く。
無駄の無さというか、すべて完璧なバランス。
今年はもっと身をまかせよう。
おばさんにもなってないのに
おととい、とちまるがおよそ2週間の海外出張から帰ってきた。
その間、父ちゃん子のたいちゃんはちょっとブルー。
昼間はなんてことなく普段通り楽しく過ごしてるんだが、夜になるといきなりブルー。
「とちまるがいないとさみしい…」と暗い顔で呟く。
おっかさんもだけど、どうしよう?
「とちまるのことをかんがえながらねようよ。
ゆめにでてくるかもしれない」
なんて乙女なことを言う夜も。
ういやつ。
しかしながら最後の2日間は夜も復活‼︎
母子でたいちゃんの最愛のおともだちの家に泊まらせてもらう。
会話が成立しない赤ちゃんぽさが残るころからのおつきあいの2人。
今ではすっかり2人だけでの遊びが成立してる。それはそれはワイワイと。
ハハ達も随分と楽になったもんです。
おかげさまで母子ですっかりお世話になったわ〜。
ありがとう〜(о´∀`о)♡
帰国の日、とちまるが帰ってきたのはお昼過ぎ。
もちろんとんでもなくうれしがって大興奮のたいちゃん。
おみやげのおもちゃも相まって、うれしさを全身で表現しまくっている。
移動の疲れもさほど見せず、たいちゃんの遊びに付き合うとちまるだったが、ごはん食べて夜も深まり急に電池切れ。
もうだめだ〜とお風呂にも入らず着の身着のまま布団にもぐりこみ就寝なさいました。
すっかり深い眠りに入ったとちまるの顔見てたいちゃんは…
「とちまる、ねちゃったね…
とちまる、おじいちゃんになっちゃったね…」
え⁉︎
疲れ果てた顔がそう見えたのか?
そのセリフを2、3回繰り返していた。
翌朝とちまるにそのこと伝えたら、
と「ひどいな〜。
おじいちゃんて言われたら悲しいなー。」
つ「確かに悲しいよね」
と「つーちゃんだっていやでしょー?
おばあちゃんて言われたら。
まだおばさんにもなってないのにね〜」
まだおばさんにもなってないのに?
まだおばさんにもなってないのに?
(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
こんなこと言ってくれるのはわが夫だけと重々知っているが、わが夫にとにかく注目されたいわたしはまた今日も夢が叶ってしまっているのだった。
3人で無事に年越しを迎えられてよかったね〜2017!〜からの2018!
サンキュー!
愛される才能に目覚めるつーちゃん。
こんばんは。
これを書いているのは夜です。
思いつきで日記を書いてみる、こどもが寝静まったクリスマスイブ。
さっそくタイトルについて。
わたしの夫とちまるは、とてもわたしを愛しています。
いつもその心にはたっぷりのわたしに対する愛情があって、それは一定量を保ち、減ることはないんです。
その愛情が、なんだかとてつもなく深く深く感じられてうれしさに震えるくらいの時があって…
でもその時もとちまるには特別の変化はなんらないんだよね。おそらく…
日々変わらず粛々とわたしを愛しているだけ。
それで実はここだけの話…、
その愛情が…、
地に堕ちたんじゃないか?
枯れ井戸か、くそったれが!
おまえなんか全然わたしを愛してないんだよ、このくされ外道が!
てくらい、カラカラに思える時があるんだよ。
でも、その時だってとちまるの愛情貯水タンクは、ふだんと変わらない表面張力を持ってして、たぷたぷと黄金の水を湛えているのです。
そう、賢明な読者のみなさんはもう薄々お気づきなのではないでしょうか。
愛されてると感じるのもそうでないと感じるのも、すべてはわたしのさじ加減ひとつだということを…!
さじ加減、というかわたしの感じ方ひとつで決まるんだよね。
そしてその感じ方がキマルのは、わたしの心の状態にかかっているわけだ!
わたしの心とかなんやらが満ち足りててわたしの状態が万全だと、
「うち、ごっつぅ愛されてるやん。
なんなん?あの人どんだけ〜?」
て自然と思える確率がかなり上がるんですよ。
思わず京女入っちゃうくらい、限りなく100%に届く勢いで。
とちまるに愛されるべくあれこれ働きかけるのってもしかしてあんま意味なくて。
(なぜならいつでも基本一定量たっぷりわたしを愛してるから)
わたしはある意味身勝手にわたしの心の感度を上げるべく自分に集中するのが1番いいのだ、ということに気がついてしまった…
いや…
前から気がついてはいたけど確信している今日このごろです。
これからももっともっと自分のごきげんとりにいそしもう!
自分と両想いで居続けよう。
自分を大切にしよう。
そうするともれなくとちまるの愛情貯水池は決壊して溢れてわたしに降り注ぐというわけです。
夫から愛されたいなあ〜と思った時に省みるべきはもっぱら自分で、自分のことちゃんとかわいがってあげたら、もれなく夫の愛もついてくるんだったなんて!
逆に言うと、とちまるから愛されてない‼︎
どぐされ外道が!て感じる時は、自分の状態がかんばしくないサインとも言えます。
だからそんな時は、たっぷり眠ってすきなもの食べる。
泣きたいならなく。
怒りたいなら怒る。
心を安らがせて休息する。
そうしたらまた愛を感じる心が回復する。
それだけのことでした。
でもこれ、わたしに限っての発見かもしれまず、万人に当てはまるわけじゃないかもしれへん、あしからず♡
出会った頃の今よりほんの少しは若いわたしじゃなくて、今のつーちゃんがいつだっていちばんかわいいよ♡と言ってくれるとちまるくん、ありがとう♡
愛される才能とかそんなんではないかもしれんけど、自分の味方を貫こう。